レ・ミゼラブル(ああ無情)

ある日、家に電話が鳴り、若い女性の声で「癒し系お話会」の申し込みがありました。某病院がやっているメンタルケアの自助グループに入っているのだそうです。聞く所によればそこでは「言いっ放し、聞きっ放し」が基本的ルールだそうです。だいたい情景が想像できます。これではいくら大勢集まっていても、一人一人が無人島に島流しにされているようなもので、呼べど木魂も返ってこず、孤独で虚しく、砂を噛むような思いをしてしまうのではないでしょうか。しかしその様な実態に気が付いて不満を抱くとしたら、その人はまだマトモなのです。入会に関してこちらが便宜を図ってやったにもかかわらずその方は結局会には来られませんでした。復たもとの無人島に帰って行ったのかもしれません。いずれにしろ「思いやり」の無い所、「癒し」などありえません。又、私が存じ上げているある尊敬すべきご婦人からこんな事を聞いたことがあります。最近の社会の傾向として、「女は我を張るだけ男から愛されなくなり、結局は自分が損をするのよね。」と。そして「人を愛する事が出来ないから子供も愛する事が出来ないで、結局赤ちゃんを産もうとしない。」のだそうです。これは最近顕著な少子化とも関連ずけての発言だと思いました。愛の無い生活ほど索漠としたものはありません。私は伝道師でもないし、私自身の生活態度を振り返ってみて、大きな口を叩ける柄ではありませんけれども、人間誰かに愛されているな、と思えればこそ幸せなのであって、それ以上でも以下でもありません。だからこそ他の人にも愛を、と言いたい所なのですが、その愛の大切さすら理解できず、むしろ迷惑だと言わんばかりに拒む人が大勢いるのが残念ながら今の社会の現状でしょう。まさに水も無き都市砂漠のありようです。その根底には、人間同士の基本的な信頼関係が崩れてきた事があると思います。人と人の間と書いて「人間」と読むように、そもそも人間の幸せとは、人間同士の絆の中で、互いに信頼関係をはぐくんでこそ生まれるのであって、そんな当然のことが忘れられて、人間が経済の手段になっていないでしょうか。更にエゴイズムの問題があります。egoとはラテン語で「自我」を意味するのですけれども、これが昂じると極めて自己中心的なワガママになったり、「自分の事以外は関係無い」という生活態度になったりします。ある駅の改札口付近の通路でほとんど危篤状態でタンカーに乗った人が運ばれてきました。「ドイテクダサイ!ドイテクダサイ!」。この緊急事態にも拘らず、誰も病人の方に目を向けようとしませんでした。誰一人として。私の常識からすれば心配して覗き込むのが当たり前なのに...。この「事件」以来私は世の中が判らなくなりました。衣食足りて礼節を知らず、小人閑居して不善をなす現下社会の状況では、マトモな事を言っても通用しません。ですから私は人に当会を説明する際に、衣食住全て買い尽くしたのだから今度は人身売買ではないけれども、人に、人間関係に投資をしてみたらどうかと勧めています。今の時代、正義や道理を大上段に振りかざすより、理解されやすいと思うからです。全国都道府県の「いのちの電話」は鳴り止みません。各所で電話を受けるスタッフの増員に追われている有様です。勝手な想像ですが、心を打ち明けて相談できる相手がいないからなのではないかと思います。その人にとってその事こそ実は何よりも不幸な事ではないでしょうか。ちなみにわが国の自殺者数はおよそ三万人を上回る結果が毎年出ています。富士の樹海で自殺しようとする人に、その前に一言声を掛ければ自殺を思いとどまる、と言う話を聞いた事があります。自殺の増加は、相談相手も無く、孤立して生きている人が増えている事をも示していないでしょうか。人間即ち人類はもとより群れで暮らしてきた生き物です。孤食は唾液の量が減り、友達と付き合わないと身体の免疫力が落ちることも実証されています。そのような事は群れをなす昆虫の世界でも当てはまります。アリは一匹では生きられないのです。といってカントの定言命法通り生きる事は私を含めて常人のなかなかできる事ではありません。しかし普通に生活をしている人が一生に出会って知り合う人の数はせいぜい千人がいい所です。自分と出逢った貴重な一人一人に「小さな親切」をかけてやるように努める事ぐらいは出来そうです。それから話は多少変わりますが、たとえ仮にある人が悩みなど無く自分は幸福だと感じていても、その幸せの質が問題になります。ジョン・スチュアート・ミルは「快楽の質」にこだわって、「満足した豚よりも不満足な人間の方が良く、満足した愚か者であるよりは不満足なソクラテスであるほうが良い。」という含蓄有る言葉を残しています。勉学と言う本分を忘れてスーパーフリーやそれに類するパーティーや合コンで昼間から酒をガブ飲みしてメチャクチャ遊び呆けている女子大生たちには、キツイお灸をすえてあげましょう。人は悩みがあるからこそ自己超克により人格的成長が出来るものです。しかし絶えず癒されたいと希求する存在でもあるのです。それは誰でも自分の胸に手を当てればすぐにわかる事でしょう。私事で恐縮ですが、私は小学生の時に父からビクトル・ユーゴーの小説「ああ無情」を買ってもらいました。余りにも有名な物語ですのでご説明は省かせてもらいますが、親切にしてもらったミリエル司教の銀の燭台を盗むジャン・バルジャン、それをも許す司教の「博愛」に心を打たれ、その頃の学芸会で偶然にも上演された「ああ無情」のそのシーンを、一緒に流されたシューマンのトロイメライの哀調を帯びた曲と共に、その時の感動を時々思い返しています。父が私にしてくれた事は唯それだけでしたが、今はとても感謝しています。

 

★連絡先を申し上げます。
 社交家・風俗研究家 ケーシー松原
〒354−0041 埼玉県入間郡三芳町藤久保1−11
TEL/FAX 0492−58−3218
メ−ルアドレス info@asutoraia.com
ホームページ  http://www.gilishya-shinwa.com/

皆様とお会いできる事を楽しみにしております。